「ヨガが教えてくれたこと。50代から“私”を大切にできるようになった理由」

1. 体が限界になった49歳の私

「朝4時に起きて、お弁当をつくって、娘を起こして、駅まで送って、ジムで体をストレッチ、そこからフルタイム勤務。帰宅は夜10時過ぎ。」

そんな生活が、当たり前になっていました。
高校で強豪の吹奏楽部に所属していた娘を支えるために、母として毎日必死でした。送り出す責任、日々のサポート。
それに加えて、当時の仕事では役職を任され、部下の育成にも向き合う日々。まさに“仕事も子育ても全力”の毎日でした。

やりがいもあったし、求めていたスキルを活かせる職場でもありました。
でも──「体力が足りない」という感覚が、じわじわと、確実に、私を追い詰めていきました。

当時の私は、睡眠時間が4時間前後。
それでも「あと1年半で娘は卒業するから、それまでなんとか乗り切ろう」と、自分を励ましていました。

けれどある日、目覚めても体がまったく動かなくなってしまったんです。

ベッドの上で、「あれ?動かない…」と、軽いパニックのような感覚。
熱があるわけでもない。ケガをしたわけでもない。でも、体が鉛のように重くて、頭も働かない。

「ああ、これは“限界”ってことかもしれない」

ようやく、心と体の声に耳を傾ける余裕が生まれました。

それまで私は、「私はできる」「やってみせる」と頑張ってきました。
転職は5回以上。夫の転勤や子どもの成長に合わせて働き方を変えながら、自分のキャリアも築いてきたつもりでした。

だからこそ、倒れるわけにはいかない。ここで崩れたらすべてが終わってしまう気がして、怖かった。
でも、体の悲鳴はもう、無視できないほどに大きくなっていたんです。

そんなとき、ふと母の言葉を思い出しました。
「50歳は大切にしなさいよ」──

母が最初にがんを患ったのは49歳。私と同じ年齢でした。
それ以来、何度も何度も「50歳を大事に」と言われてきたけれど、その言葉の意味が、やっと胸に届いた気がしました。

「今の私も、あの時の母と同じ年齢なんだ」
そう思ったとき、涙が止まらなくなったのを覚えています。

これまで私は、誰に認められたくて、こんなに頑張ってきたんだろう。
もしかすると、母に「自慢の娘」と思われたかっただけかもしれない。
49歳になっても、私はまだ「誰かの期待に応えよう」としていた自分に気がついたのです。

でも、体が動かなくなったその日から、少しずつ、人生の舵を「自分」に向ける決意が芽生えていきました。

2. ヨガとの再会と“呼吸”との出会い

体が動かなくなってしまったあの日。
「このまま何もできなくなるかもしれない」──そんな不安が頭をよぎりました。

でも、ほんの少しだけ体調が戻ってきた頃、ふと頭に浮かんだのが**「ヨガをしてみよう」**という言葉でした。
長年通っていたスポーツジムで、私はさまざまな運動を経験し、ヨガの素晴らしさも知っていました。

私はもともと、「動くことで元気になれる」と感じていたタイプでした。
だからこそ、今回も「動くこと」が自分を取り戻す鍵になると、どこかで信じていたのだと思います。
実際に、体を少しでも動かし始めると、内側に“流れ”が生まれたような感覚がありました。

当時の私は、頭の中が常にフル回転していて、
「次は何をすべきか」「どう動けばいいか」──
そんなことばかりを考えて、“今の自分”を感じることなんて、すっかり忘れてしまっていたのだと思います。

そんな時に出会ったのが、ヨガのインストラクターの先生のこの言葉。

「息を吸って、自分の内側にスペースをつくりましょう」

スペース”──これまで運動してきた中で、私はこの言葉を深く受け取ったことがありませんでした。
でも、動けなくなって初めて、スペースという言葉の本当の意味が体に染み込んだような気がしました。

呼吸をしながら、体の中に「ゆとり」や「余白」を感じる。
詰め込みすぎていた毎日の中で、どこかに押し込めていた自分の“感情”や“疲れ”が、
そのスペースにふっと顔を出してきたような、そんな体験でした。

頭で何かを“コントロール”しようとするのではなく、
体に任せて、動くこと・感じることを少しずつ受け入れていく。

それが、張りつめていた心をほどき、
ガチガチだった体の内側に、あたたかな風を吹き込んでくれました。

ヨガとの再会は、まるで「自分を取り戻す旅の始まり」のようでした。
呼吸だけでなく、動きによってもスペースは生まれる
その感覚を、私は体を通して初めて“知った”のです。

3. 誰かに認められたい人生だった

今振り返ると、私はずっと「誰かに認められたい」と思いながら生きてきたように感じます。
転職を何度も繰り返し、子育てや家庭の事情に合わせて働き方を変えながら、
どんな場所でも正社員として職を得て、スキルを磨いてきました。
そしてようやく「これまでの集大成」と思える職場にたどり着き、役職に就き、部下を持ちました。

それは、まさに私が目指していた姿だったはずなのに──
ふとした瞬間に感じた、言葉にできない空虚さが残っていたのです。

きっとその根っこには、**「母に認められたかった」**という想いがあったのだと思います。

母は、私が50歳を迎える頃まで、何度もこう言っていました。

「50歳はね、大切な年齢なのよ」

私の母が初めてがんを患ったのは、49歳。
それは、まさに私がその年齢を迎える直前でした。

「あなたもそろそろ、その年齢になるのよ」と、
何度も何度も言葉をくり返していたけれど、それ以上のことは言いませんでした。

私の49歳の終わり。
娘を早朝4時台に送り出し、22時頃に帰宅する生活。
その間ずっと働きづめで、睡眠は平均4時間。
1年半続けて、あともう少し──と思ったその時、
私は心も体も限界に達していたのです。

それでも、「ここで折れたらだめだ」と思っていました。
自分を励まし、無理にでも前に進もうとしていたあの頃。

でも、ほんの少し立ち止まって見つめ直してみたら、
ずっと、ずっと私は母に「自慢の娘」と思われたくて頑張っていたことに気づいたんです。

「母の期待に応えたかった」というよりも、

“母に認められたかった。母を超えたかった”──そんな思いが、ずっと心の奥にあったのだと思います。

母はおそらく、私に特別な期待をかけていたわけではありません。

でも、私はいつも「母のようになりたい」「母を超えたい」と思っていた。

「すごいね」と言ってほしくて、

仕事も、勉強も、家庭もがんばってきた自分がいました。

けれど、どこかでずっと、母に追いつけない、届かない、

そんなもどかしさを抱えていたのかもしれません。

──49歳になって、ようやくその想いに気づくなんて。

ずっと「良く見られたい」と思ってきた。
でもそれは、周りの目よりも何よりも、
母にそう思ってもらいたかった自分の心だった。

子どものため、家族のため──
そうやって尽くす人生は、間違いなく愛にあふれた時間でした。
でも、その中に埋もれていた“私”という存在に、
私はようやく目を向けることができたのだと思います。

4. 自分の体と人生を取り戻すということ

体が限界にきた49歳の終わり。
そして、母の言葉が心によみがえった50歳の始まり。
このタイミングで、私はようやく「自分の人生」を見つめ直すことになります。

これまで私はずっと「できる自分」であろうと走り続けてきました。
家庭のことも、仕事のことも、自分がなんとかすればうまくいく。
そう信じて、努力を重ねてきた毎日。

でも、ふと立ち止まってみたら、
「私、何のためにこんなに頑張ってきたんだろう?」
そんな問いが、静かに浮かんできたのです。

社会の中で認められること
収入や安定した立場を手に入れること
子どもの未来を支えること──

どれも、大切なものばかりです。
でもその一方で、**「私の心と体は、ちゃんと元気だったかな?」**と自問したとき、
答えに詰まる自分がいました。


健康は、人生を動かす“土台”だった

そのとき、改めて気づかされたのが、
**「健康であること」こそが、自分の人生を動かすための“土台”**だということです。

体が動かないと、働くことも、遊ぶことも、誰かと笑い合うことさえ難しくなる。
お金があっても、健康を失えば、自由はどんどん遠のいてしまう。

だからこそ──
50代という“今”こそが、「健康資産」を築くためのタイミングだと感じるのです。

体力も、知識も、経験も、まだまだ備わっている。
でも、20代や30代のように「無理がきく」わけではない。

この時期に、どれだけ自分の体を整え、土台をつくっておけるか。
それが、60代・70代・80代…人生の後半戦の「自由度」を決めると、私は強く感じるようになりました。


「生きる力」としてのヨガ

私が改めてヨガと向き合ったのも、この想いからでした。
体を動かすことで、心も動き始める。
呼吸を整えることで、思考の渦が静かになる。
ヨガは、“生き方そのもの”を整えるツールだと感じたのです。

だから、私は今、「一生動けるからだづくり」を伝えています。
それは、単に「ずっと元気でいようね」という言葉ではなく、
**「自分で動ける力を育てることが、自由に生きられる未来につながる」**という実感から来ているものです。

50代からでも、遅くない。
むしろ、これから先の人生を「どう生きたいか」を見つめるのに、
ちょうどよい節目かもしれません。

5. 50代からでも遅くない。“今”がターニングポイント

「もう50代だから」「今さら変われるかな」──
そんな言葉を、自分に言い聞かせてしまうこと、ありませんか?

かつての私もそうでした。
仕事では責任ある立場に就き、家では家庭の中心として動き回る日々。
変化を望む気持ちよりも、現状を保つことで精一杯。

でも今、はっきりと言えます。
「50代は、まだまだ体も心も変えられる。」
そして、**「このタイミングこそが、人生を整えるチャンス」**だと。


“今”という節目をどう生きるか

50代は、過去のキャリアや経験が積み重なり、
自分の価値観がより明確になってくる時期です。
同時に、親の介護、自分の体力の変化、子どもの独立など、
さまざまな“転機”が重なる時期でもあります。

この時期に大切なのは、
**「どう見られるか」ではなく、「どう生きたいか」**という問いを、
自分に向けてみること。

これまで、誰かのために頑張ってきた私たちだからこそ、
“自分のために選び直す”タイミングが必要なのだと思います。


小さな選択の積み重ねが、大きな未来をつくる

変化は、劇的なことから起きるわけではありません。
むしろ、「今日はちょっと早く寝よう」
「10分だけ体を動かそう」
「ひと呼吸おいて、深呼吸してみよう」

そんな小さな選択の積み重ねが、
半年後、1年後のあなたの体と心をつくっていきます。

だから、今この瞬間が、人生のターニングポイントになるんです。


ヨガは、その“気づき”をくれる場所

ヨガをしていると、心と体の小さな変化に敏感になります。
それは、年齢を重ねた私たちにとって、とても大きな財産です。

「呼吸が深く入った」
「今日は肩が軽く感じる」
「何となく、気分が前向き」
──そんな感覚は、
“まだ変われる”という自分への信頼につながっていきます。

私は今、ヨガを通して、たくさんの50代女性と出会い、
それぞれのペースで、自分自身と向き合う姿に勇気をもらっています。


50代は、まだまだ“始まり”のとき。
健康も、生き方も、未来の選択も──
自分で決めて、自分で整えていけると、私は信じています。

そして、それをサポートするのが、私にとってのヨガです。


このブログが、「今の私を大切にしたい」と思っている誰かの
背中をそっと押せたら、こんなに嬉しいことはありません。

最後まで読んでくださって、ありがとうございます🌿

6. まとめ:今こそ、“自分のため”に人生を整えるとき

ここまで、49歳で体と心の限界を感じた私が、ヨガとの再会を通じて「呼吸」「感覚」「心」と向き合い、「誰かのため」ではなく「自分のため」に生き方を選び直すまでのプロセスを綴ってきました。
50代は、働くことや子育てなど“外側の役割”に追われながらも、気づかないうちに自分の心や体がすり減っている時期でもあります。「まだ大丈夫」と思い続けるその姿勢が、限界を超えてしまう前に、ふと立ち止まる勇気も大切なのかもしれません。

健康は、お金や地位以上に人生の自由度を左右する“土台”です。だからこそ、今このタイミングで「健康資産」を育てることが、60代・70代…その先の人生を築くカギになります。
ヨガはポーズをきれいに決めるものではなく、呼吸や感覚を通して“自分との対話”を深める時間。小さな一呼吸、一つの動きが、心と体に“余白”を生み、これまで押し込めていた自分自身の声を拾い上げてくれます。

「50代からがはじまり」──この言葉を胸に、今日という日を“これから”のスタートにしてみませんか?


💡たとえば今日からできること:

  • いつもより深く呼吸してみる
  • ほんの10分、体を動かしてみる
  • 自分に「ありがとう」と言ってみる

こうした小さな選択の積み重ねが、やがて大きな変化へとつながっていきます。
たとえ思うように体が動かない日があっても──動かせるところを丁寧に使い、心のゆとりを育てていくことで、人生の自由度はきっと広がっていきます。

そして、もうひとつ。
これからの人生では「どれだけ頑張れるか」ではなく、**“自分の器を知り、その中でどう豊かに生きるか”**が問われていくのではないでしょうか。

若いころのように外側を飾るのではなく、今は、無理なく、心地よく、自分らしく生きる力が求められる時代。
その選択こそが、これからのあなたを守り、育ててくれる大切な力になると私は感じています。


どんな今日であっても、「これから」のためのスタートにできますように。
あなたの人生が、今この瞬間から、静かに、あたたかく、広がっていくことを心から願っています。

このブログは、過去の私自身に宛てた手紙でもあります。

もし今、あの頃の私のように立ち止まっている方がいたら──届いてほしいと思います。

🌿 mamiより